喜多見先生ご講演書き起こし
2020年9月19日
喜多見勇次郎 政治活動10周年記念講演より(一部抜粋・書き起こし)
(拍手の中、登壇)
ありがとうございます。ありがとうございます。こうして十年という節目を迎え、多くの皆さまにお集まりいただけたこと、誠にありがたく、感謝感激であります。
さて、本日は少々、私の原点とも言える話をさせていただきたく存じます。
私は、戦後の気風がまだ色濃く残る中、群馬の片田舎に生まれました。父は帝国陸軍の出でして、まあ、それはもう謹厳実直な人でしてね。今なら家庭内暴力……なんて言われるかもしれませんが、あれが教育というものでした。
私は子供の頃、隣の家の柿をちょろまかして食べたことがありましてね。それが父に見つかりまして、真冬の夜、庭のケヤキに一晩吊されました。震えましたよ。死ぬかと思いました。でも、それが効くんです。本当に。
父は、母にもまた、厳しかった。典型的な厳父慈母でしたね。ですがね……私の母は、素晴らしい人でした。良妻賢母とはまさに母のこと。朝は誰よりも早く起き、家族のために働く。父の出勤時には、玄関で三つ指をついてお見送りをする。帰宅の際も同じく。
父に口答え? 一度たりともございませんでした。
女は三歩下がって男の影を踏まず。そういう言葉がありますが、母はまさにそれを体現した女性でした。子を五人もうけ、家を守り、家庭を支え、立派に「婦人の務め」を果たしてくれました。
そんな母の姿は、正に雄鶏の後をついて歩く雌鶏のようであり、私には父と母が理想の夫婦に見えました。
そして、そういう母のそばで育ちましたから、私も男子として、頑張らねば、と思えたのです。母は、私の理想です。心から尊敬している。だからこそ、あの母が若くして亡くなったときの悲しみは、今なお胸に残っております。
そして今、現代日本を見て思うのです。
あんな女性は、もういない。
なんと嘆かわしいことでしょう。
女性の自立? 社会進出? 耳に心地よい言葉ではありますが、果たしてその結果、何が起きたかは皆さんもご存じでしょう。
家制度の崩壊、出生率の低下、未熟な母親による虐待や育児放棄、男女の役割の曖昧化……。
すべて教育が間違った方向に進んだためです。女子教育が、です。
私は、その誤りを正したい。母のような大和撫子が、再びこの国に戻ることを願ってやみません。
この喜多見勇次郎、伝統的女子教育の復古再建に粉骨砕身、全身全霊をかけて取り組む所存です。
(拍手)
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